膵臓がん ステージ4bとの闘い

平成27年7月。ゴルフが大好きな私に突然、最愛の妻が膵臓がんと診断された。まさに目の前が真っ暗とはこの事だ。これから困難な道があることを覚悟し妻が生きている証を残せたらと思います。

セカンドオピニオン

7月13日詰まった胆管にチュウーブを入れた手術から4日目となり、妻も顔色が少しずつではあるが黄色が抜けていくようである。血液検査でも胆汁の流れは改善されているとの事。まずは一安心だ。
これが上手くいかないと命に係わるとの事、(妻は今でも、今からも命に関わっていますが!)
主治医の先生と今後の治療について話し合いを行った。
先生からは手術は血管等に浸潤があり出来ません。標準治療である抗がん剤治療と放射線治療をすぐにでも進めたいがとこちらの意見を求めてきましたので、重粒子線治療や免疫療法等も並行してやれないか?と色々意見を戦わせましたが、妻は56歳とまだ若い?ので標準治療を行って効かないようであれば方針を変えればいいのではとの事ことで、今は早く治療方針(標準治療)を決めた方がよいと結論。
また、この市民病院では放射線治療が出来ないので他の病院(家族会議で希望していた病院:症例の多い病院)をセカンドオピニオンとして紹介したいがとの事。先生の紹介なら同じ治療方針に近いのではと思いながらこちらも希望していた病院であるため紹介してもらうことになった。
万が一、放射線治療ができない場合は抗がん剤のみになるので、その場合市民病院に戻ってきたいが受け入れてくれるのか?免疫療法や重粒子線治療の相談もお願いしたい。とお願いした。
この市民病院もこころよく承諾いただいた。色々親切に親身になって相談に乗ってくれるので、ありがたいです。7/20頃に退院かな?背中の痛みをよく言うようになった?ベットのせいかな?頑張っている妻!

家族会議

妻は検査結果を聞いたその日に入院して翌日の7月10日にステントを行った。
麻酔から覚めた妻は、背中や下腹部が気持ち悪いと言い出した。
痛み止めのロキソニン飲んで少し眠れる様になった。2週間は入院だとの事。頑張れ!!
7月11日 我が家に長女夫婦と次女夫婦+孫と全員が集合
婿二人とも色々な情報を持ち寄ってくれた。心配を掛けているにも関わらず有難いと本当に感謝している。①セカンドオピニオンを行う。②放射線治療ができない場合重粒子線治療の選択③免疫療法の取り入れ等を確認して、担当医と相談する事にした。特にセカンドオピニオンについては、治療実績の多い病院(こちらの希望は大阪成人病センター・大阪大学附属病院・国立がんセンター等)の紹介が一番期待するところ。この市民病院は放射線課がないので色々なネットワークがあると聞いている。
家族会議のあと妻には内緒でファミレスによって腹いっぱい(妻の分まで???)食べて、みんなでお見舞いして帰った。妻は変わらず背中の痛みと下腹部のぐにゅぐにゅが気になるらしい。
癌太郎が拡大していないか?心配になった。

最悪な一日

平成27年7月9日  市民病院に妻・私・次女・次女の長男(孫)と検査結果を聞きに行きました。
胆嚢・胆管癌と勝手に自己診断している私はある意味覚悟はあった。動揺しないだろう、涙なんて・・・
担当医からCTの画像を見せられ膵臓に約5㎝の大きな腫瘍があります。膵臓がんです。血管や他の臓器にも浸潤している。ステージⅣです。このあたりで目の前がクラクラしていました。2つだけ確認しました。まさかの膵臓がんステージⅣのA・Bどちらですか?<B>です。え~!!最悪やな~。
診断結果については少し理解しました。今後の治療やセカンドオピニオン等色々相談させてほしいと確認。担当医やっと顔が和らいだように見えた。先生も緊張してたからな~。
あまり動揺しない私が、診察室から立ち上がれないのはなぜ?力が入らない?なぜか目頭が熱く濡れているのはなぜ?妻の手を取って診察室を辞した。
妻は私の前では泣いていないが、我慢強い人なので、ベッドでは沢山泣いただろうな!
7月9日なんて日だ~!!人生最悪な日
*妻には5年前にもう50歳になっているから毎年健康診断を受けなさいと言って、強制的に毎年健康診断を受けています。今年も4月に健康診断を受け脂質が若干高めであとは健康そのものだったのに、
全く分からなかった。7/7に検査する前日に黄疸が出ているとのはなし、よく見ると確かに首筋・目が黄色くなっている。毎日見ているのに分からなかった。食事も少なかったと妻の母(91歳)と姉が言っていた。これも分からなかった。毎日一緒にいるのに全く気付いてやれないダメ亭主だ!
なんて日だ~!!人生最悪の日。